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  • 「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展 会場風景(福島県立美術館) 「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展
    会場風景(福島県立美術館)

2019.6.9(sun)

思い出の展覧会(60)
ベン・シャーン
クロスメディア・アーティスト
2012年6月3日~7月16日 福島県立美術館

福島県立美術館 学芸課長 荒木 康子

 1990年に福島県立美術館の学芸員になって、気が付けば30年近く経つ。その中で忘れられない展覧会は、2011年12月に神奈川県立近代美術館 葉山で立ち上がった「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展である。その後、名古屋市美術館、岡山県立美術館を巡回し、12年6月3日から当館で開幕した。オープンにたどり着くまで紆余曲折の長い準備期間があったが、一番大きな出来事は、葉山のオープンまで一年を切った3月11日、東京での連日の調査をやっと終えて皆でお茶を飲んでいた最中に襲った東日本大震災、そして原発事故。まだ先が全く見えない4月下旬、美連協の会議室で、当時の神奈川県美の水沢勉館長、名古屋市美の深谷克典学芸課長、岡山県美の鍵岡正謹館長、そして当館の酒井哲朗館長が集まり、「予定通りやろう」と力強くゴーサインを出してくださったことは深く心に残っている。
 連休明けだっただろうか、一人で浜通りに向かって車を走らせたことがあった。津波の爪痕も生々しく、心臓の鼓動が早まるのを感じながら進んだ。ふと見ると、学校帰りの中学生らしき少女がカバンを背負ってその風景の中を歩いている。ハッとした。ベン・シャーンの《解放》という絵と重なって見えた。それは第二次世界大戦後、解放されたばかりのパリ。瓦礫の中で子供たちが遊んでいる情景を描いた作品。私の中で二つの風景がシンクロしていた。
 ベン・シャーンは戦前、冤罪事件を取り上げ、告発するようなシリーズ作品を発表していた。しかし戦中から戦後にかけてそうした姿勢に変化を見せる。人々を「移民」とか「ユダヤ人」といった大きな社会的な括りで見るのではなく、「あなた」と「私」という関係の中で捉えようとしていた。そこから「共感」の造形が生まれる。そういうシャーンの考え方は、本人も文章にしているので、わかったつもりでいた。しかし実際のところどうだったのだろう。震災後いろいろなことを感じる中で、私はシャーンが何故そういうことを書いたのか、いったい何が言いたかったのか、シャーンの言葉が実感として体の中に落ちていったような気がした。正確に言えば、シャーンのことを考えなくてはならないのに、それもままならない日々、頭の中でもやもやしていたものを後から思い返してそうだったのだと気づいた、と言った方がいいのかもしれない。不謹慎な言い方だが、震災があってベン・シャーンに少し近づけたような気がする。とにかく、不思議な巡りあわせだったと思う。
 前年の2010年に、私はあるグループ展を企画した。そこで、ベン・シャーンも描いている第五福竜丸事件(ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験による日本漁船の被爆事件)、つまりラッキードラゴン関連から、私はヤノベケンジさんにヤノベさんの《ラッキードラゴン》のご出品をお願いした。その後もヤノベさんとの関係は続いている。その時、やなぎみわさんにもご出品いただき、それが今年の「やなぎみわ展 神話機械」に繋がった。繋がってきたものがある。ベン・シャーン展は、私に多くの経験と気づき、そしてつながりを授けてくれた思い出の展覧会である。

※美連協ニュース142号(2019年5月号)より転載。役職は掲載時。

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