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  • 「吾妻兼治郎展」カタログ表紙(富山のデザインは永井一正氏)

2019.6.9(sun)

思い出の展覧会(61)
吾妻兼治郎展
1988年9月3日~10月23日 富山県立近代美術館

富山県美術館 副館長 杉野 秀樹

 この5年ほど、美術館の移転新築準備に追われ、展覧会に関わることがほとんどできなかった。が、思い返せば、学芸員としてスタートを切ったのが町田市立国際版画美術館の立ち上げであり、学芸員生活の最終盤で富山県美術館の移転新築業務に携わった。スタートとエンドがどちらも美術館作りであったことは考えようによっては学芸員冥利に尽きる。長年、学芸員をしていても、美術館建設においそれと立ち合えるものでもなかろう。

 さて、本題に移るとして、思い出に残る展覧会は?と問われれば、美連協の全国巡回「吾妻兼治郎展」である。今から30年も前の1988年(何と「昭和」だ)、西武美術館を皮切りに、富山県立近代美術館、神奈川県立近代美術館、山梨県立美術館、宮城県美術館、国立国際美術館を巡回した展覧会である。今、西武美術館はすでになく、富山、神奈川、国立国際の3館は移転新築。隔世の感をひしひしと感じる。また寂しいことに吾妻さんは2016年に鬼籍に入られた。
 では、なぜこの展覧会なのかといえば、ズバリ重かったからだ。町田には5年ほど籍を置いていたが、作品といえば版画である。常に「紙」であった。大きな作品といえども、たいがい手で扱える。それが富山近美に来て担当を任された最初の企画展が金属の立体。重いに違いない。また時間のなさも重荷であった。当時は富山県民会館美術館との兼務で、春に同館の企画展を担当した関係から、富山近美での実質的な勤務は5月半ばではなかったろうか。そこで突然秋の展覧会を任された。薄っぺらなファイルの綴りを渡されたのを今でも覚えている。出品作品や図録編集といった巡回展準備はとっくに終わっていたが、富山会場用のポスターやチラシの準備に大慌てで取りかかった記憶がある。
 初体験となる立体作品の展示は、一度置くと、変更・移動がままならない重量物ということもあり、四苦八苦。それでもやさしい(?)学芸諸先輩に助けられ、何とか無事に乗り切ることができた。
 図録を見ると、一般オープンは9月3日とある。確か開会式は前日の午後であったから、式が終わった夕刻に八尾のおわら風の盆を見に行ったのだと思う。何十年も日本の祭りを見ていないという吾妻さんのたっての希望で八尾行きが決まった。吾妻さんは山形市出身。その記憶にも東北の祭りがしっかりと刻まれていたに違いない。
 尾根伝いに開かれた八尾の町に大勢の見物客が押しかけ、道を歩くにも難儀するほどの賑わいであった。結局、町流しや輪踊りを見つけることができず、夜もかなり更けてきたので不承不承、富山に戻ることにした。「せっかく来たのだから、祭り気分を味わいましょう」と吾妻さんが露店のたこ焼きを買って、道すがらの食べ歩き。たこ焼きをほお張る吾妻さんの、童心にかえったにこやかな表情が忘れられない。まさに祭りのハレの笑顔であった。

※美連協ニュース142号(2019年5月号)より転載。役職は掲載時。

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