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  • 展覧会図録「佐々木象堂とモダニズム」表紙
  • 「佐々木象堂とモダニズム」展チラシ(表)
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2021.5.6(thu)

思い出の展覧会(67)
「佐々木象堂とモダニズム」展
1994年1月21日(金)~2月27日(日)
新潟県立近代美術館

新潟県立近代美術館 学芸課長 藤田 裕彦

 本展はその企画段階からイレギュラー続きだった。私は近代美術館の学芸員として、開館前年の1993年に新潟県美術博物館に採用され、当時の学芸課長から工芸の担当を命じられる。美術館においては、専門と担当が一致しないことは多々あるが、私が驚いたのは、工芸の担当者が開館前年に異動し、次年度の自主企画展として「新潟の金属工芸家展」の開催が決まっていた点である。つまり、約1年半の間に、担当したことのない工芸展を企画し、開催する必要があった。

 新潟県の長い金属工芸の伝統を、開館年にアピールするという趣旨はわかったものの、展覧会内容はこれからという段階であり、開館直前の激務に追われ、さらに同年、新潟県美術博物館の掉尾を飾る「郷土が生んだ美の先達25人展」の開催も決まっていたため、私は途方にくれていた。そんな中「25人展」の一人として、佐渡出身の重要無形文化財保持者である佐々木象堂(1882〜1961年)が選ばれた。東京国立近代美術館所蔵作品が展示候補となり、私は作品調査に伺い、その際に立会われたのが当時、主任研究員だった樋田豊治郎氏(現・東京都庭園美術館長)である。私は象堂の繊細な技に圧倒され、樋田氏の工芸に対する奥深い話に魅了されることになった。

 館に戻るとすぐに佐々木象堂を中心にした企画案を作成する。学芸課内でコンセプトを説明し、前川誠郎館長の了解を得て、作ったばかりの企画案を持って、再び樋田氏を訪ねた。そこで提案されたのが革新的工芸の誕生とそこに影響を与えたモダニズムの概念だった。モダニズムの原型はバウハウスに通じる。この段階で、モダニズム側から佐々木象堂を引き寄せる展覧会企画へと生まれ変わった。

 樋田氏の多大な協力を得て、出品作家も新潟の枠を越え、无型や実在工藝、バウハウス関連作家や、そこで学んだ山脇巌、道子、型而工房など多岐に渡ることになり、展示の必然性も考慮するため時間を要し、借用依頼は後手に回った。

 しかし、所蔵家などにお話をすると、企画のユニークさから、展覧会実現に親身になって対応してくれた。千葉県立美術館に津田信夫の借用を依頼すると、すでに常設展の展示予定があり印刷物も校正段階に入っていたが、こちらを優先してくれた。ミサワホームはセゾン美術館の「バウハウス展」に貸出しを予定していたが、その前に当館にも貸し出してくれ、おかげで印刷物に使用することができた。象堂作品は家宝と考えている個人所蔵家が多いため借用が困難なところ、その多くの所蔵家と親しい地元の新聞社の方が喜んで仲立ちをしてくれた。最たるものは、建築家・土浦亀城氏のお宅を会場内に再現するというもので、実際に使っている書棚まで借りることになったが、ご存命であった土浦氏がニコニコしながら、棚が梱包されるのを見ていたことを思い出す。

 展覧会は当初予定をはるかに越えて、私自身びっくりするような大規模な展覧会となったが、展覧会は大勢の人々の協力があって、はじめて完成することを学び、そ の全てが私の貴重な財産となった。以降、この経験が学芸員としての私を支え続けている。

美連協ニュース150号[2021年5月号]より転載
(※役職、所属は掲載時)

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