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  • 中川幸夫「魂の花展」チラシ

2018.5.2(wed)

思い出の展覧会(57)
中川幸夫「魂の花展」
―青竹ひらく霧島―
2003年4月29日(火)~ 6月8日(日)
鹿児島県霧島アートの森

鹿児島県霧島アートの森 学芸課長 宮薗広幸

 ひたすら植物のいのちを生け続け「花と心中する男」とまで言われた当時84歳の中川幸夫(1918〜2012)が、鹿児島の木や花とどのようなやり取りをして、どんな様相に成るのだろうと、完成形が固まらないまま走り出した中川幸夫展は、最も忘れられない展覧会である。

 開催の前年に鹿児島を訪れた中川は、密生した竹林を見て回り、竹の肌に触れ、その青さ、真っ直ぐさ、白い切り口に触発され、そこから竹を割ったり裂いたりす る構想が生まれた。中川は鹿児島で最もいのちを表現するに相応しい植物として青い孟宗竹を花材に選んだ。本展における竹のインスタレーションは、その神秘性 と生命力を一瞬のうちに把握した中川が、孟宗竹の伝来地である鹿児島で制作した《魂の花》という作品に結実した。ちょうど本展開催時には、中川の代表作が写真 データとして使用可能な状態にあり、作品のパネルやバナーによる展示は担保されていた。当初、中川は2週間前から現場に入り、竹の新作や書を組み合わせた インスタレーションの制作に取り掛かる予定だったが、体調不良により旅程が二転三転したため,最悪の場合は丸亀から指示を仰ぎながら現地の竹工職人に加工 を委ねることも考えた。

 弟子をとらない孤高の「いけばな作家」中川幸夫は、地を這うような極貧の生活のなかで生き抜き、まさに清貧というに相応しい境遇にあ りつつ生み出される作品は、常に攻撃的で本質に迫り妖艶で猛々しいエネルギーに満ち溢れている。ここでも一貫して新しい表現に挑み続け、青竹で「魂の花」 を作るため全霊を掛けてきた中川は、幸い体調を取り戻して気力を振り絞って鹿児島に来ることが出来た。まだ展示はこれからであったが、この瞬間に本展の大きな節目を実感したことを今も鮮明に覚えている。

 数日後に元気を取り戻した中川が「作品の天井に30メートルの長い書を広げよう」と閃いたのを機に急遽、本館入り口のアプローチに和紙を敷いて現地制作が始 まった。中川のピッチは更に加速し、メイン作品の青竹40本は結局、展示室の中央に設えることになった。終了後は直ちに全館くん蒸や殺菌等によるIPM(総合 的病害虫管理)を強化する事になったが、まさに存命芸術家の醍醐味を実感したのだった。

 中川は常に自由で柔軟な発想をもとに独創的な方法で植物の命を表現する。正面からだけでなく後ろからや、花びらを広げて内側や花の中心を覗いてみたりし ながら花という存在そのものへと迫るあくなき追求は、表現のあらゆる可能性を試そうとする。中川幸夫は唯一の「いけばな作家」であり、かつ真の意味での「現代 美術家」といえるだろう。いまだ未熟な学芸員にも熱い想いを穏やかに語ってくれた中川幸夫はもう居ない。この制作と展示の現場に立ち会う事ができた経験 は、これまでで最も貴重な財産として今でも筆者を支えている。

美連協ニュース138号[2018年5月号]より転載
(※役職、所属は掲載時)

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