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2019.12.2(mon)

「アートによるまちづくり」
地域(まち)とアートをつなぐ美術館の取り組み
【熊本市現代美術館】

熊本市現代美術館 副館長兼事務局次長 岩崎千夏



  熊本市現代美術館は、熊本市の中心部、複合ビルの3階にあり、周辺には約2kmにわたるアーケード街が延びている。2002年10月に開館した当初は「現代美術なんて判らない、特定の人が見るもの」という意見が大半。しかもスタッフはほぼ美術館運営未経験者、地域(広くは都市、狭くは近隣商店街など、以下「まち」)のことを考える余裕などあるはずもなく、ふと気がつくと、近隣商店街からは自分達とは関係ない施設ができたと思われていたらしい。(当時はそう思われていることに気がついてもいなかった。)

 当館がまちを意識しはじめたきっかけはいくつかあるが、一つ目の大きな転機は2003年に地方自治法の一部改正により始まった指定管理者制度である。条例に明記されていた、「美術文化振興財団(市の外郭団体)」が美術館を運営するという前提を根底から覆す法律の改正。当時、美術館界全体に様々な憶測が飛び交い、スタッフはモチベーションも見いだせず、後ろ向きな発言ばかりが目立つ日々、しかし日本にある限り、制度から逃れることはできない。全ての恨み節を吐き出した後、少し冷静になって考えたとき、指定管理者に選ばれる一番の基準は「まちの人たち」が必要と思うかどうかだろう、ということに思い至った。そして自分達の姿を顧みて、すぐそばの商店街とさえ関係が結べていないことに愕然とした。当時は全く笑い事ではなかったが、「市民に愛される美術館」にならなければ、と身をもって気づけたのは、今となってみれば良い経験だった。

 まず、私たちがはじめたことは、近隣商店街へのご挨拶と丁稚奉公だった。商店主たちが企画するお祭の準備委員会に参加させていただき、ポスターのイラスト描き、椅子並べ、なんでも手伝った。次に彼らの自主的な音楽イベントの団体(STREET-ART-PLEX KUMAMOTO、以下「SAP」)の会議に乗り込んで、朝の4時まで街の将来について熱く語り合い、今度はそのイベントを手伝い、美術館も会場としてもらった。そうやって、徐々に信頼関係を作っていった。

 二つ目の転機は、2007年の冬に開催した日比野克彦の個展だった。この展覧会を商店街と一緒に作ろうと、1年前にキックオフの飲み会を開催。以後、日比野は月1回のペースで来熊、展覧会の打合せと明け方までの飲み会を繰り返した。ひとつの事業を一緒におこなうとしても、美術館と商店街の目的は微妙に異なる。それに気づけず険悪な雰囲気になったこともある。でも担当スタッフは諦めなかった。その結果、展覧会には大勢の人が詰めかけ、最終日には会場内でSAPのメンバーが即興のライブを行い、大いに盛り上がった。日比野と商店主たちの関係はそれからも続き、今日まで、年に1度は日比野のワークショップ(と飲み会)が商店街のアーケード内で行われている。その後もアーケードでさまざまなイベントやプロジェクトを展開してきたが、最近は、商店主から何か一緒にやりたいという相談が来るようになってきている。

 三つ目の転機は、3年前の熊本地震(4月14日前震、16日本震)である。商店街も美術館も、自分達が店(美術館)を開けることで、まちに活気を取り戻そうとしてきた。当館は5月11日に避難所ではなく美術館として開館、19日のSAPによるコンサートを皮切りに、商店街や劇場などと一緒に音楽イベントやアートプロジェクト、チャリティ演劇公演も行った。コンドルズ、金氏徹平、江口寿史、佐渡裕、山田和樹など、アーティストも惜しみなく協力してくれた。みんな、被災したまちの人たちに笑顔になってほしい、その一心だった。この地震の時も日比野はいち早く自力で熊本に入り、自主的にワークショップをして帰っていった。同じ時代を生きるアーティストを改めて同じ「人」だと認識し、彼らと一緒に仕事ができる現代美術館であったことを幸せに思った瞬間だった。

 なんだか飲んでばかりいたようだが、こう考えると、私たちの美術館は、むしろアートやアーティストによって、まちと繋いでもらっているようだ。でも、それこそが実はアートの力であって、そういうアートやアーティストとの出会いや気づきのきっかけを、美術館がまちの皆さんに届けることができているのだとしたら、とても嬉しい。更に、新しいスタッフが入ってくることによって、彼らなりの新しいまちとの繋がりも広がりつつあり、それも嬉しい。

 「アートは素晴らしい」と一方的に押しつけても、「まちとアート」は繋がらない。まちの人たちが何を望んでいるのかに本気で耳を傾けること、それが第一歩かもしれない。よほどアートに造詣の深い人でなければ、「アート」は社会や自分の日常生活とは別世界のものと思っている。アートについて、まちの人の言葉で語ってみる。それは時に「安らぎ」や「にぎわい」、「気づき」かもしれないし、「中心市街地活性化」や「ダイバーシティ」や「持続可能性」かもしれない。もちろんアーティストとも誠意を持って話さなければならない。「作る(創る)」と「観る(参加する)」、どちらがなくてもアートは存在しない。「まちとアート」を繋げようとするとき、美術館はある意味通訳者であり仲介者である。誰かと一緒にやるのであれば、その人達も仲介者となる。アーティスト、仲介者、まちの人たち、お互いを一人の「人」だと、その個性に気づいた瞬間に、まちとアートは必ずつながる。まちの人とともに地震を経験した今、そう信じられる。

※美連協ニュース144号[2019年11月号]より(一部加筆)

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